明治・大正・昭和初期の史書から
百年前の史書を、
原本にあたりながら読み直す。
国立国会図書館が公開する明治〜昭和前期の史書・史料集を元本に、幕末を中心とした日本史を、一文ごとに出典へたどれる形で書いています。
2027年1月10日 放送開始大河ドラマ『逆賊の幕臣』の時代を、記録で読む
本サイトはNHK・番組とは無関係の非公式サイトです小栗忠順とその時代 →
新着の記事
すべての記事 →-
長崎の三か月 ―― 露使プチャーチンと幕府の先送り
検使の大井三郎助が沖へ出た。向かう先は、港内に繋がれたロシア船。告げるべきことは、一つだけだった。将軍徳川家慶の死である。 -



下田に戻った条約 ―― アダムスの批准交換
伊豆下田の沖、神子元島の向こうに黒い船影が一つ。 -



空谷の跫音 ―― 嘉永六年、諸大名の対米意見書と高島喜平の開国論
嘉永六年(1853年)十月。高島喜平。かつて四郎太夫秋帆と名乗り、西洋砲術を日本に伝えた人物である。 -



和の一字は封じて ―― 嘉永六年七月、徳川斉昭という切り札
嘉永六年(1853年)七月三日、水戸邸へ一通の達しが下った。海岸防禦筋につき用があるので、しばらくのあいだ隔日ほど登城されたい。隠居の身であるから表通りには及ばない、平川口から入り、風呂屋口から御控所へ通られよ。老中阿部… -



烏川の河原、二刀 ―― 小栗忠順の死を蜷川新はどう告発したか
慶應四年(1868年)四月一日。上州権田村、榛名山麓の東善寺。高崎、安中、小幡の三藩の兵、およそ八百人が山腹の寺に迫った。彼らが求めたのは、寺に暮らす一人の旧幕臣との面談だった。小栗上野介忠順。前の勘定奉行。四十二歳。
蔵にある本
史料一覧 →記事は、著作権保護期間が満了した以下の資料から書いています。いずれも国立国会図書館デジタルコレクションで原本を読めます。
