明治・大正・昭和初期の史書から
百年前の史書を、
原本にあたりながら読み直す。
国立国会図書館が公開する明治〜昭和前期の史書・史料集を元本に、幕末を中心とした日本史を、一文ごとに出典へたどれる形で書いています。
2027年1月10日 放送開始大河ドラマ『逆賊の幕臣』の時代を、記録で読む
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墓の木は長じて ―― 昭和三年十二月、小栗上野介をめぐる六篇の反響
昭和三年(1928年)十二月十二日、大阪毎日新聞の紙上。史家の花見朔己が、一冊の新刊を論じている。書名は『維新前後の政争と小栗上野の死』。著者は法学博士の蜷川新。 -



四壁皆攘夷党なり ―― 文久三年五月、徳川慶喜の東下と辞表提出
近江の土山駅。刺客数人が、岡部駿河守の旅館を襲った。駿河守は難を逃れた。だが前途を案じた徳川慶喜は、行列に空の駕籠を残し、駿河守を先に発たせた。尊攘派が駿河守を、井伊、安藤の遺志を継ぐ者と信じていたためだ、と蘇峰は『徳川… -



暴政実に御歎息あり ―― 安政六年五月、四公落飾のあとに下った宸翰と賞賜
奉書の切紙を、美濃紙で包んだもの。内々の仰せを伝える、と断り書きがある。 -



鯨海酔侯の入京 ―― 文久三年正月、山内豊信と高瀬川の小橋の首
文久三年(1863年)正月十日。品川沖に、一隻の汽船が錨を下ろしていた。大鵬丸。 -



島津斉彬の忍耐 ―― 高崎崩れと血染めの肌着
嘉永元年(1848年)十二月十八日。薩摩藩の財政を長年一手に握ってきた調所笑左衛門が、血を吐いて死んだ。 -



琉球という痛手 ―― 島津齊彬はいかにして薩摩を継いだか
江戸の島津齊彬の手もとに、薩摩から二通の報せが届いた。一通は島津將曹から島津石見に宛てたものである。琉球は平穏、案じることはない、という趣旨であった。もう一通は、島津豐後と末川近江から、同じ島津石見に宛てた内報である。そ… -



徳川斉昭の除姦運動 ―― 弘化元年から嘉永五年まで、水戸藩政をめぐる八年
一通の書状が、水戸藩の下屋敷から老中の阿部正弘のもとへ届く。 -



不眠晩景の乱筆 ―― 徳川斉昭、大奥老女姉小路への一書
弘化三年(1846年)八月朔日。夜が更けても灯が消えない。宛名は大奥の老女、姉小路。末尾に一句が添えられていた。眠れぬ夜に書いた乱れた筆跡、という意味である。
蔵にある本
史料一覧 →記事は、著作権保護期間が満了した以下の資料から書いています。いずれも国立国会図書館デジタルコレクションで原本を読めます。
