明治・大正・昭和初期の史書から
百年前の史書を、
原本にあたりながら読み直す。
国立国会図書館が公開する明治〜昭和前期の史書・史料集を元本に、幕末を中心とした日本史を、一文ごとに出典へたどれる形で書いています。
2027年1月10日 放送開始大河ドラマ『逆賊の幕臣』の時代を、記録で読む
本サイトはNHK・番組とは無関係の非公式サイトです小栗忠順とその時代 →
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淺薄なる罵詈 ―― 蜷川新が小栗の仏国借兵論を弁明する
幕府が仏国へ派遣した使節、池田筑後守が滞在していた年である。この年、仏国政府の側から一つの方策が幕府に持ち出された、と蜷川新は記す。長州を討つのに、仏国の海軍を使ってはどうか。 -



喉を貫いた一発 ―― 慶応四年三月十五日、川路聖謨の自害を蜷川新はどう記したか
慶応四年(1868年)三月十五日の夜。江戸番町の屋敷で、一人の老人が起き上がった。半身不随の身である。沐浴し、礼服を着け、家人を退けた。遺書を書き、左手に兼貞の刀を取る。 -



土蔵付き売家の栄誉 ―― 小栗忠順と横須賀製鉄所の起こりを蜷川新はどう伝えたか
先年、佐賀から幕府に納められた蒸汽修船器械が一式ある。それを使って、ひと骨折ってくれないか、という話である。 -



墓の木は長じて ―― 昭和三年十二月、小栗上野介をめぐる六篇の反響
昭和三年(1928年)十二月十二日、大阪毎日新聞の紙上。史家の花見朔己が、一冊の新刊を論じている。書名は『維新前後の政争と小栗上野の死』。著者は法学博士の蜷川新。 -



四壁皆攘夷党なり ―― 文久三年五月、徳川慶喜の東下と辞表提出
近江の土山駅。刺客数人が、岡部駿河守の旅館を襲った。駿河守は難を逃れた。だが前途を案じた徳川慶喜は、行列に空の駕籠を残し、駿河守を先に発たせた。尊攘派が駿河守を、井伊、安藤の遺志を継ぐ者と信じていたためだ、と蘇峰は『徳川… -



暴政実に御歎息あり ―― 安政六年五月、四公落飾のあとに下った宸翰と賞賜
奉書の切紙を、美濃紙で包んだもの。内々の仰せを伝える、と断り書きがある。 -



鯨海酔侯の入京 ―― 文久三年正月、山内豊信と高瀬川の小橋の首
文久三年(1863年)正月十日。品川沖に、一隻の汽船が錨を下ろしていた。大鵬丸。 -



島津斉彬の忍耐 ―― 高崎崩れと血染めの肌着
嘉永元年十二月十八日(1849年)。薩摩藩の財政を長年一手に握ってきた調所笑左衛門が、血を吐いて死んだ。
蔵にある本
史料一覧 →記事は、著作権保護期間が満了した以下の資料から書いています。いずれも国立国会図書館デジタルコレクションで原本を読めます。
